尾崎豊は1,2曲しか知らない!どんな曲があるのか、彼の魅力をもっと知りたい!
そう思ったあなた!
この記事を読めば尾崎豊の魅力がさらにわかります!
オラ!アジャノです!
普段は音楽の記事を書いています。
今回は尾崎豊の人気曲から隠れた名曲、そして曲作りの秘話を紹介します!
それではいきましょう!!
基本的に曲を出した順に並べています!
【尾崎豊】人気曲から隠れた名曲までおすすめの歌10選
ダンスホール
「なぜこの曲を最初に持ってきたの?!」
と疑問になった方も多いかもしれません。詳しく解説します。
実はこの曲、彼がデビュー前に制作されておりオーディションでも歌った曲です。
しかも生前最後のライブで彼がアンコールとして歌った曲なのです。
彼のアーティストとしての人生はこの曲に始まり、この曲に終わったといっても過言ではないと思います。
これは彼が16歳の時に起きた新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺人事件をモチーフにした曲です。
書くのもためらうほどの凄惨な事件なのですが、この犯人は未だに捕まっておらず未解決事件となっています。
この事件によってディスコの危険性が指摘され、ディスコブームの終焉に繋がりました。
彼がディスコをダンスホールと表現したことからも卓越した才能がうかがえます。
I LOVE YOU
もはや日本人で知らない人はいないのではないでしょうか?
その後にも名だたるアーティストにカバーされる伝説の曲となりました。
この曲はデビューアルバム『十七歳の地図』を制作している時、プロデューサーの須藤晃氏が曲が足りないからバラードを書いてくるように彼に依頼しました。
そうすると、彼は「いい曲がありますよ」と言ってI love you~♪と口ずさみました。
この時須藤氏は
『これは予めストックしていたものではなく、詞の断片こそあったものの即興で歌ったものではないか』
と推察しています。
この曲をほぼ即興で作るなんて・・・。
震えるほどの才能を持っていますよね。
OH MY LITTLE GIRL
実はこの曲が尾崎豊最大のヒット曲であり、彼のシングルで唯一ミリオンセラーを達成しています。
しかし、この曲が最もヒットしたのは彼が他界した後の1994年でした。
きっかけはドラマとのタイアップで再リリースをされたことでした。
イントロが印象的で彼の優しい歌声が響き渡る曲です。
15の夜
「不良」
もしかしたらこの曲にそのようなイメージがある方もいるかもしれません。
しかし、彼が本当に伝えたかったのはそこではありません。
彼はデビューライブでこう語りました。
僕が本当に心から、僕の同世代の人間に伝えたいのは、いろんな生き方があっていいと思う。周りの人間はいろんなことを言うかもしれない。
尾崎豊
(途中略)
大人って臭いものにすぐフタをかぶせて、物事をわかったような気になろうとしてるけど本当はそうじゃないと思うんだ。
もっと大切な事ってあると思う。
それを俺達若い連中が、これから作りあげていかなくちゃ、俺達おんなじ様な大人になってしまうんじゃないかと思うんだ。
自分の存在をちゃんと見つめ、自分らしく生きていくことの大切さを教えてくれる曲です。
十七歳の地図
この曲は、かなりロックな曲調になっています。
彼が高校時代、学校帰りに夕日を見るため訪れていた渋谷駅前の東邦生命ビルの屋上テラスで街並みを眺めていたときに浮かんだ曲です。
このタイトルは中上健次の小説『十九歳の地図』から引用されました。
僕が僕であるために
彼の真っ直ぐで純粋な思いが痛いほど伝わってくる歌です。
自分を押し殺し、人に合わせて生きる人にも歌いかけているのではないかと思います。
自分の内にある「正しさ」を信じて生きていかなければ。
彼の誠実で強い思いに胸を打たれます。
卒業
「夜の校舎窓ガラス壊してまわった」
この部分があまりにも有名になりすぎ、歌詞を真に受けて窓ガラスを壊す学生が続出し、彼は罪の意識を感じていました。
これも彼が本当に伝えたかったことは別にあったのです。
学校生活だけでなく、人生全体を俯瞰した歌詞でした。
愛について考察をしたり、あらゆる「支配」つまり抑圧との戦いを歌っています。
「あと何度自分自身 卒業すれば 本当の自分にたどりつけるだろう」
私の大好きな部分です。
シェリー
この曲は神田川を見ながら自分について考察した曲と言われています。
「シェリーってだれ?」
と思った方も多いと思います。
これは実際明らかにされておらず、おそらく鏡の中の自分に歌っているのだと思います。
この曲は全てのライブツアーで歌われた曲だと言います。
私が今までの人生で最も好きな曲を挙げるとしたらこの曲を挙げます。
彼の生きざま、気持ちを赤裸々に歌ったものです。
力強くも脆く悲しい歌です。
Forget-me-not
Forget me notとは勿忘草(わすれなぐさ)と言う意味です。
この曲は10代最後にレコーディングされた曲となりました。
彼が初めて行き詰まった曲でもあると言います。
彼はレコーディング当日、スーツに身を包んできたそうです。
後にも先にもそれはこの時だけだったと言います。
そこでのレコーディングはプロデューサーが戦慄するほどの歌声で「このまま死んじゃうのかな」と思うほどすごかったと言います。
太陽の破片
1988年にフジテレビ系列『夜のヒットスタジオDELAXUE』でこの曲を披露したのですが、それが最初で最後のテレビ出演となりました。
1987年に覚せい剤取締法違反で逮捕された彼は、拘置所でこの曲を書き上げました。
悪いイメージを払拭するためにもテレビ出演をしたわけですが、その時の様子が衝撃的でした。
トークの時も同じ人とは思えないようなオーラを放っていて完全に浮いているのです。
そしてマイクを持つと人が変わったように歌い始めます。
それは魂の叫びに聞こえました。
アーティストとしてこの世に生を享けた尾崎豊
いかがでしたでしょうか?
彼がライブで遠くを見つめるような眼差しが好きであると同時に、どこか悲しい気持ちになります。
アーティストとして何かを伝えるために生まれてきたのではないかと思わせるほどの魅力が感じられます。
大きな力、愛、ジレンマ
様々なものと戦って果たして彼は「卒業」できたのか?
そんなことを考えてしまいます。
今日も読んでいただきありがとうございます!