藤井風の『きらり』聞いてるとドライブに出かけたくなる!この曲の歌詞はどんな意味を含んでいるのか知りたい!
そう思ったあなた!
この記事を読めばこの歌詞の魅力がさらにわかります!
オラ!アジャノです!
今回はHONDA「VEZEL e:HEV」のCMソングでもある「きらり」の歌詞に込められたメッセージを徹底解説&考察します!
歌は様々な解釈があるので、個人の解釈として参考までにお願いします!
藤井風初のワンマンライブ『NAN-NAN SHOW 2020』Blu-rayが遂にリリースされました!
【藤井風/きらり】歌詞の意味考察!「今」の自分を大切に生きていく
とてもアイコニックでかっこいいジャケットですよね。
初めて聞いた時、2番のサビ前の転調に完全に心を奪われました。
さらに、「きらり」「さらり」「ゆらり」など曲を通して韻が軽やかに踏まれているのも印象的ですね。
さて、タイトルの「きらり」という言葉。
きらりは輝くという意味の擬態語ですが、「瞬間的」というニュアンスが含まれます。
この曲全体のメッセージは以下だと思います。
歌詞のポイント
- 「今」の自分と向き合い、大切に生きていく
- 二元論からの解放
「きらり」では、今を大切にすることは、過去や未来を大切にすることにも繋がると言っているように感じました。
今を大切にするという姿勢。
この部分は『キリがないから』にも通じる部分があると思います。
そして、更にこの歌詞を深く読み解いていくと、時間を軸にしながらも「二元論からの解放」がテーマになっていることがわかります。
言葉だけ聞くと難しく聞こえてしまいますが、メッセージはシンプルで物事を対立的に比較して「どちらか」に囚われすぎてはいけないということです。歌詞を見ていき、例を挙げながら解説していきますね。
それでは詳しく見ていきます!
きらり 1番
荒れ狂う季節の中を二人は一人きり さらり
きらり/藤井風
明け行く夕日の中を今夜も昼下がり さらり
解説:『二人は一人きり』
二人で一人とは「自分」と「ハイヤーセルフ」を指しているのではないでしょうか?
ハイヤーセルフは、彼のデビュー曲『何なんw』のテーマだとご本人も解説していました。それは「完璧なもう一人のあなた」を指します。詳しくは後ほど解説します。
更に、この歌詞は「二つで一つ」ということを表しているようにも思います。
「二つ」とは何のことを指しているのか?それは続く歌詞で明らかになります。
『明け行く夕日の中を今夜も昼下がり』という歌詞。
まず、昼「下がり」と「さらり」で韻を踏んでいますね。
そして、意味を考えていくと「ん!?!」と思いますよね。
「明けゆく」は夜が明けて日が登ること。逆に「夕日」は日が沈むこと。
つまり、真逆ですよね。
同じように「夜」と「昼」も対をなすものです。
対をなす真逆のものが一緒に歌われています。これはどういうことなのでしょうか?
おそらくこれは対立しているものに見えても実は一緒なのだということだと思います。
私達は物事の多くを「二元論」で判断します。
二元論・・・物事を対立する2つの要素で判断すること
む・・む・・・難しい・・・!
確かにこれだけ聞くと難しそうですが、例を聞くと理解していただけると思います。
例えば、善と悪・正しさと間違い・賛成と反対・・などなど相対する2つのものを指します。
そして二元論では、対立が起こります。
「どちらか」が正義だとすると、反対側の意見を持っている人は「正義ではない」ということになってしまいますよね。
しかし、「もう片方」の人にも彼らなりの「もう1つの正義」があったりします。
その結果、溝が生まれ対立してしまう、ということです。
少し説明が長くなってしまいましたが、これからの曲の展開を見るのに重要なので詳しく説明しました。
このことを踏まえて風くんは、どちらかに偏るのではなく「真ん中」を行きたいというメッセージをくれているように思えてなりません。(真ん中とは何かについては後ほど詳しく解説します)
ちなみに「さらり」はこだわりがないという意味を持ちます。
つまり執着がないということ。
どちらかに「こだわる」という生き方から解放されると解釈することもでき、この部分も繋がります。
どれほど朽ち果てようと最後にゃ笑いたい
きらり/藤井風
何のために戦おうとも動機は愛がいい
解説:『何のために戦おうとも動機は愛がいい』
風くんならではの美しく優しいメッセージですよね。
昨今世の中では、二極化が顕著に見られます。その結果、分断・対立が深まっていますよね。
そのような中で「愛から生まれる戦い」とは何なのか考えさせられます。
「どちらか」に偏って相手を言い負かしたり排除したりする戦い。この動機は愛ではないですよね。
それぞれの人達が手を取り合って協力し、ともに乗り越えていく。これが愛ではないでしょうか?
最終的に大切なのは、ともに笑い合ったり支え合ったりする「人と人との繋がり」なのかもしれません。
新しい日々は探さずとも常に ここに
きらり/藤井風
色々見てきたけれどこの瞳は永遠に きらり
解説:ここからは先程の二元論を踏まえつつ、「時間」を軸に曲が展開していきます。
新しい日々=未来。ここ=今を指しています。
つまり、未来は今そのものである。つまり、全て繋がっているということですね。
「色々見てきた」というのは過去を指しています。
過去・今・未来は線引きをしてしまいがちですが、本当は全て「今」の連続なので同じものだと取ることができます。
『この瞳は永遠にきらり』の部分。
前述の通り、きらりは「瞬間的」という意味を持ちます。そう考えると「永遠」と「瞬間」は一見反対のものに見えるかもしれません。
しかし、これも本質的には同じものであるように思います。なぜなら、永遠は、瞬間の集まりと捉えることができるためです。
あれほど生きてきたけど全ては夢みたい
きらり/藤井風
あれもこれも魅力的でも私は君がいい
解説:「あれほど生きてきた」過去は夢のようである。
過去も未来と同じで実体はなく、「今」の連続です。
『あれもこれも』というのは「過去も未来も」と言い換えられると思います。
素敵な思い出も、まだ先の見えない未来も魅力的に見えますよね。
そのような中でも、やっぱり『君』がいい。
君は「今の自分」やハイヤーセルフを表しているのではないでしょうか?
過去・今・未来は隔てるものがなく、全て同じものだと解説しました。
そのため、「今の自分」を大切にすることは過去や未来の自分を大切にすることにも繋がりますよね。
この部分を更に広く捉えるならば、「あれもこれも」は善悪などの対立する概念。そして、「君」は真ん中であり二元論から解放された生き方ということもできます。
どこにいたの 探してたよ
きらり/藤井風
連れてって 連れてって
何もかも 捨ててくよ
どこまでも どこまでも
荒れ狂う 季節の中も 群衆の中も
君とならば さらり さらり
新しい日々も 拙い過去も 全てがきらり
解説:私が探していたのは「今の自分」です。
過去や未来への執着・対立する物事への憎しみを捨てていく。
『荒れ狂う季節や群衆』
これは、まさに今のような先が見えずに困難で厳しい状況を指しているのかもしれません。
しかし、そんな時こそ執着を捨て、今の自分と向き合う。そして愛をもって生きていく。
そうすれば、「きらり」と輝く今を生きていくことができるのではないでしょうか?
きらり 2番
無くしてしまったものを振り返って ほろり
きらり/藤井風
時には途方に暮れてただ風に吹かれて ゆらり
解説:過去はこの手には残らず、取り戻すこともできないもの。
時にはその戻らない過去に思いを馳せながら、ほろりと涙してしまうこともあります。
*余談ですが、風くんの歌詞ではよく「風」が登場します。(特に「風よ」ではタイトルにもなっていますよね)
この素敵な自分の名前に誇りを持っているのではないかなと思ったりします。
息せき切ってきたの
きらり/藤井風
行き先は決めたの
迷わずに行きたいけど保証はしないよ
何か分かったようで
何も分かってなくて
だけどそれが分かって本当に良かった
解説:ここから曲調が変わります。
メロディーと歌詞から、主人公が前へ進み始めているように思えます。
息せき切るとは、急いで駆け足をして息を切らすということ。
この部分は「やり直そうとしている」ように感じました。
これまでは「どちらか」に偏った人生を生きてきた。
しかし、それに気付いた今、スタート地点に急いで戻ってきた。今からでも再スタートしてみたい、と。
そして過去などへの執着や憎しみから解放されるために『行き先』を決めます。
それは、今までの道とは全く違うもの。
漠然とした不安を抱えつつも確実に前へ進もうとしています。
『何か分かったようで何も分かってなかった』と言っています。
私達は日々膨大な情報量の中で暮らしており、それらとうまく付き合わなければなりません。
その情報を効率よく取り入れるために、1つの考えに当てはめて全て分かったような気になってしまうことがあります。
しかし、それではどちらかの考えにとらわれてしまい、違う意見の人に対して憎しみが生まれてしまいます。
右に進むのか左に進むのかの「どちらか」ではなく、愛をもって調和を目指すということが本当の意味の「分かった」ということではないでしょうか?
新しい日々は探さずとも常に ここに
きらり/藤井風
常にここに ここに
色々見てきたけれどこの瞳は永遠に きらり
永遠に きらり
生きてきたけど全ては夢みたい
あれもこれも魅力的でも私は君がいい
解説:曲の最も盛り上がるところです。ここは初めて聞いた時、度肝を抜かれました。。
歌詞では『ここ』が強調されていますね。
「今の自分」としっかりと向き合い始めている様子が描かれているのではないでしょうか?
そして、サビ前の「Ah~」の箇所。かっこよすぎてしびれます。
この転調は疾走感と同時に解放感を感じます。
対立するものに対する憎悪・過去や未来への執着から完全に解放されていく様子を表しているように思います。
これは「もうええわ」の『手放したいもの今全て この空に捨てて』を想起しました。
どこにいたの 探してたよ
きらり/藤井風
連れてって 連れてって
何もかも 捨ててくよ
どこまでも どこまでも
荒れ狂う 季節の中も 群衆の中も
君とならば さらり さらり
新しい日々も 拙い過去も 全てがきらり
解説:「どちらか」に囚われるのではなく、「真ん中」を目指していく。
過去・今・未来が一直線に繋がっているように、対立しているように見える物事は本質的に同じものであるということ。
そこに気付けば自ずと憎しみや執着が消え、揺るがない自分になることができるのではないでしょうか?
まとめ:きらり、執着を捨てて「さらり」と生きる
いかがでしたでしょうか?
全体的には爽やかな歌でありながらも、深い意味があり哲学的な要素もあるように感じました。
二極化による対立が激化している昨今で、一つの見方や考え方に当てはめて偏ってしまうのでなく、「真ん中」を選んでいきたいという優しいメッセージを感じました。
しかし、真ん中とは何でしょうか?
仏教の教えで中庸・中道という言葉があります。
それぞれの意味は以下です。
メモ
中庸・・・どちらかに偏るのではなく常に変わらず、調和がとれていること。
中道・・・二つの極端である有・無、断・常などの対立した世界観を超越すること。
これらの生き方を言っているのはないかと私は感じました。
対立している物事を俯瞰的に見て、常に愛をもって調和していく。
そうすれば「中道を歩む」ことができるのではないでしょうか?
また、歌詞の1番最初に『二人は一人きり』とありましたよね。
これは「ハイヤーセルフと一体になる」ということだと思います。
『何なんw』でも取り上げましたが、ハイヤーセルフは高次元の存在なので、二元論の考え方から解放され俯瞰して見ることができるようになるのではないかなと。
みなさんはどう感じましたか?
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今日も読んでくださりありがとうございます!
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