チェ・ゲバラ

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【10分でわかる】チェ・ゲバラ(伝説の男の生い立ちや逸話、名言)

2020年5月15日

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疑問に思う人

チェ・ゲバラってどんな人?どんな人生を送ったの?

今回はこのような疑問にお答えします!
この記事を読めば初めての方でもチェ・ゲバラの生きざまがわかります
今回は全ての方が理解できるように主要な場所を紹介していきます!

それではいきましょう!!

【チェ・ゲバラ】伝説の男の生い立ちや逸話、名言

チェの生い立ち

ラテンアメリカ放浪

彼はアルゼンチンのロサリオの裕福な家庭で生まれました

彼は2歳の時に喘息と診断され、以降生涯それに悩まされることとなります
彼は本を読むことが大好きで頭もよく、アルゼンチンの最高峰の大学であるブエノスアイレス大学に進学し、そこで医学を学びました。

そして、この頃に2度、ラテンアメリカ放浪の旅へ出ます。
彼はバイクで貧乏旅行をしました。
1度目に各国の貧困を目の当たりにしたゲバラは、2度目の旅の際、自分には何ができるのかを考えていました。

そこでボリビアの革命を目にします。
圧政に苦しんでいた若者が蜂起していたのです。
彼は興味を持ちましたが、革命とはいえ平気で人が殺されていく状況を見て納得できませんでした。

その後、グアテマラで新しく発足したアルベンス政権の政策に興味を持ちます
彼は、農地改革といって、一部の大地主が持っていた土地を貧しい農民にも分配するということをしていました。

しかし、暗雲が立ち込めます。
それはアメリカです。

同国の共産主義化を恐れたアメリカはグアテマラに軍事介入をしてきます。
アルベンスは国外逃亡し、外国人であるチェも移動せざるを得なくなりました。

フィデル・カストロとの出会い

フィデル・カストロ

グアテマラを離れたチェは、メキシコに入国しました。
そこで彼はキューバからの亡命者たちと出会います

ここでキューバの情勢について簡単に説明します。
当時のキューバはバティスタという人物が独裁政治をしていました。

そしてサトウキビによるモノカルチャー経済(1つの商品に頼っている経済)で、その利益は一部の大地主が独占。
貧富の差が著しい状況でした。
そしてアメリカがそれの大半を輸入していました。

こういう背景があり、キューバはアメリカに逆らえなかったのですが、圧倒的に不利な条件の取引で、この国の富を独占していました。

さて、話を戻します。
亡命者のリーダーは、フィデル・カストロ
彼は裕福な弁護士でしたが、これらの貧しい人々を救うために武装蜂起。
戦いには敗れ、メキシコに亡命しましたが民衆は彼の考えに心を打たれ、革命の希望の星となっていました。

チェはカストロの話を聞いて深く感銘を受け、共に戦うことを誓いました
そこで彼らはゲリラ戦士として戦うための訓練を開始します。

苦難に満ちたキューバ革命

今のキューバ

1956年、彼らはついにキューバの首都ハバナの反対側にあるシエラ・マエストラに向けて船で出発します。
チェは、軍医として参加しました。
そこで現地の兵士とも合流する予定でした。

しかし、そこでは政府軍が待ち伏せしており、部隊は散り散りになってしまいました。


ここで1つ逸話があります。
攻撃を受けた際、仲間の一人がゲバラの足元に、弾薬箱を置いて逃げていってしまいました。
そして、彼の目の前には、医薬品が入った箱があったのですが、弾薬箱と医薬品の両方を背負って逃げるには重すぎると思われました。
彼は医者なのか、戦士なのか・・・
彼は、弾薬箱だけを手に取り、サウトウキビ畑へと走り出しました

彼は戦士として生きる道を選んだのです。

さて、革命軍の大半を失い、絶望的な状況であったのですが、それでもカストロは諦めませんでした。

カストロは「負傷した兵士はたとえ敵であったとしても治療」と言いました。
医療品に限りがあるのにも関わらずです。
チェはそれに従い、多くの兵士を治療しました。

最初は外国人として見られていたチェですが、その忍耐力、道徳心から次第に受け入れられ、ナンバー2としてカストロに認められました。

また物資を調達する際も彼らはちゃんと代金を支払っていました
どういうことかと言うと、以前のゲリラたちは物資を脅して強奪していったのです。

彼らの徹底した道徳に感銘を受けた民衆は次々に味方になり、サンタクララへ向かいました
政府軍は6000人、革命軍はわずか300人です。
そこでゲリラ軍は政府軍の装甲列車を転覆させました。
政府軍は混乱し、民衆の勢いもあいまって、激戦の末に制圧しました。

反乱の勢いをみたバティスタは国外へ逃亡し、革命はついに成功しました。

キューバ革命後の生活

キューバ革命

革命後のキューバは徹底して民衆のために尽力しました。

農地改革をして貧しい人にも土地を分け与え、チェはアメリカに依存しないためにも工業を発達することが大事だと唱えました。

彼は国立銀行総裁や工業大臣として懸命に働きました。

それだけの地位に上り詰めましたが、決して傲慢になることはありませんでした

彼は一般市民との関わりを大切にしていました。
休日には大臣の服を脱いで、国民と一緒にサトウキビを刈ったり小麦工場で働いたりしていました

キューバ危機と別れの時

キューバ危機

そんな中起きたのが有名なキューバ危機

ソ連がキューバに核ミサイルを配備し、
アメリカとソ連が核戦争寸前まで行き、第三次世界大戦が始まると恐れられた最悪の出来事です。
キューバはこれらの大国を前に傍観することしかできませんでした。

カストロはそのカリスマ性ですばらしい政治を行っていました。
そして、チェは数々の国へ赴きました。

彼は正直であるゆえに公然と帝国主義のアメリカを批判しました。
ソ連のことも「途上国から搾取する社会主義国家」と暗に批判しました。

ここでカストロとの意見に相違がありました。
カストロはアメリカと関係を断つ以上、ソ連との付き合いは続けていかなければならないと考えていました。

チェが理想主義者ならカストロは現実主義者でした。

さらにチェは様々な国に行く中でまだまだ革命前のキューバのような国が多くあることを再認識します。


チェは、キューバ革命で得た地位、名声を捨て新たな戦場へ向かうことを決意します
それが彼の向かうべき道だと考えました。

ここは彼の最も偉大な部分と言われています。
なぜかと言うと、これまで人類史上で一度手にした名声を捨てるなんて人はいなかったためと歴史学者は口にします。
むしろ一度獲得したらそれに執着する人が大半でした。


彼は世界が良くなることだけを考えて生涯を送りました

コンゴでの苦悩

コンゴ

新たな戦地として選んだのは、なんとアフリカのコンゴ

彼はアフリカ各国を歴訪している中でここに決めました。
当時コンゴ共和国とコンゴ民主共和国に分かれて内戦状態にあり、民族対立に加え、アメリカやソ連の介入でカオス状態になっていました。

そこで彼は現地の兵士とともに戦うことを決意するのですが、これは失敗に終わります

原因は大きく3つありました。

悪いリーダー
ローラン・カビラという現地のリーダーはとてもいい加減な人物だったと言います。
彼は仲間をいきなり殺したり、一般民衆からも強奪したりしていました。

言語の違い
コンゴの公用語はフランス語とスワヒリ語でしたが、フランス語さえも話せない兵士が多くいました。
チェはフランス語を話せましたし、スワヒリ語も勉強しましたが、コミュニケーションを取るだけでも一苦労でした。

兵士の士気
キューバ革命のときと違って、兵士の士気が低く、攻撃を受けたらすぐに武器を置き去りにして逃げ出してしまっていました。

これらの要因が相まって、コンゴでの革命は失敗に終わりました。

ボリビアでの挑戦

ボリビア

一旦、キューバに極秘で帰国したゲバラは次の戦場としてボリビアにしました。

ボリビアは言語もスペイン語ですし、ラテンアメリカ諸国としての団結がありました
彼は他にグアテマラと迷いましたがそこには既に強いゲリラ戦士がいたため、バランスを考えてボリビアを選択しました。

ボリビアはラテンアメリカの中でも一段と貧しい国でした。
彼らは1日30円にも満たないような状況で生活していました。

そしてここでの革命も苦しい現実でした。

まず、協力を誓ったはずのボリビア共産党が援助を渋り始めました
しかも、彼らは自分の約束を守らないことを棚に上げて、いろいろな要求をしていました。
彼らには革命計画を話していたので弱みを握られているようなものでした。

そしてキューバと地形が大きく異なっていました
森が少ないため、上からの攻撃を避けるのが困難なのです。
また戦車などが来ても見つかりやすため、ゲリラ戦として不利な地形でした。

また脱走したゲリラが、政府軍にゲリラの計画をペラペラ喋ってしまったのも足かせとなりました。

また国際情勢として、共産主義国であるはずのソ連と中国が対立していることもゲバラは憂いました。
当時はベトナム戦争の最中でした。
「共産主義国で一致団結して、帝国主義であったアメリカに対抗しなければならないのに仲間割れしていてどうするのだ」、というのが彼の意見でした。

様々な条件が相まってゲリラはうまく進まず、政府軍が勢いをつけてきました。
そして1967年10月8日、彼は政府軍に捕まりました。
翌日、彼は銃殺されました。39歳でした。

ゲバラの最後の言葉は自分に銃を向ける若い兵士に発したものです。
この兵士は彼を撃つことにためらいを見せていました。

そこでゲバラは落ち着いてこう言い放ちました。

撃て!びくびくするな!俺はただの男にすぎない

チェ・ゲバラ

これは最後までゲバラの人を気遣った生き方を表しているように聞こえてきます。

チェ・ゲバラの生きざまに学ぶ

チェ・ゲバラ

彼は時折武力を行使したことで批判を受けることがあります。
もちろん、現代の感覚でとらえれば、武力を使って戦うべきではありません。
今は人権がありますし、ちゃんと言論する機会があります。

チェも現代を生きていたなら他の方法をとっていたでしょう

しかし、当時のラテンアメリカ諸国はそれがありませんでした。
独裁政権の中で、極度な貧困や言論統制がありました


彼は医者としてこのまま生きていくよりも革命家として生きたほうが多くの人を救えると考えたのです。


チェは、正直で誠実で寡黙な男だったと言います。
ラテンアメリカの人々の性格として、かなり賑やかで約束もあまり守らない傾向があると言われています。
その中でチェはかなり珍しい人物だったと言われています。

最後に彼の名言を残して、この記事を終わりにしたいと思います。

もし私たちが空想家のようだと言われるならば、救い難い理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、「そのとおりだ」

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