夢をかなえるゾウ

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【夢をかなえるゾウ4】あらすじ要約やレビュー(名言に心打たれる)

2020年7月24日

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疑問に思う人

夢をかなえるゾウの最新刊は、どのような感じ?あらすじやレビューを知りたい!

そう思ったあなた!
この記事を読めば夢をかなえるゾウ4の良さがわかります!

オラ!アジャノです!

今回は「夢をかなえるゾウ」の4冊目を読んでみて、あらすじや感想、この本の良さを書いていきたいと思います!

【夢をかなえるゾウ4】あらすじ要約やレビュー(名言に心打たれる)

正直、私が今まで読んだ本の中で最も感動したと思います。

あらすじとしては、普通のサラリーマンがある日突然余命宣告を受け、コミカルなゾウの神様ガネーシャに出会って人生を変えていくというものです。

相手が神様という点以外はあるあるなストーリーですよね。

しかし、この本には普通の物語とは違う良さがありました。
大きく分けて3つご紹介します。

1つ目は、日常生活に活かしやすいという点です。

この本は「夢をかなえる」ためにガネーシャが1つずつ課題を出していく、という形式になっています。

そして読者である私たちの人生にも関係するものとなっています。

そのため、これは課題という形になっているので実践しやすく、日常生活に活かしやすいのです。

では、2つ目のこの本の良さに移ります。

それは、「死」について真剣に考察している点です。

「え、話が重そう・・・やめとこ」
と思ったかもしれません。

しかし、話自体は笑える部分もたくさんあり、重くならないように作られています。

「死」は誰もが避けることのできないものです。

怖いから考えたくもない気持ちもわかります。私もずっとそうでした。
しかし、それと向き合うことで気持ちが軽くなりました

私の中でそれがどういうものなのかずっともやもやしていたのですが、それを形あるものとして考えるヒントになった気がします。

かなり重くなってしまうようなシリアスな内容をユーモアを交えながら、かつ真剣に向き合っているのがこの本のすごいところです。

では3つ目を紹介します。

それは「夢を手放す」方法も書ている点です。

「え、それは諦めじゃないの?」
私もそう思っていました。

確かに夢を追い求めることは美しいことですが、時には夢は人を苦しめます

例えば、大切な人が病気になり「少しでも長く生きてほしい」と思うこと。
これも夢です。尊厳死の問題とも関わってきますね。

私達の共通の目的は「幸せになること」のはずで、夢はその手段です。

時には手放さなければならない夢もあります。
つまり、夢は時に人を強くしますが、時に人を壊すこともあります

「でもどうしても諦めきれない夢ってあるよね?」
そこでどう自分と向き合っていけばいいかヒントをくれるのがこの本でした。

そのため、この本の良さをまとめると、
1.日常生活に活かしやすい
2.死を真剣に考察している
3.夢の「手放し方」も書かれている

これから私が特に感動した部分や気付きを得たを書いていきたいと思います。

死ぬまでにやりたいことリストを作る

夢をかなえるゾウ4

まず、ガネーシャの課題の1つで死に際に後悔しないために「死ぬまでにやりたいことリスト」を作るという点です。

死に際に後悔することとしては、
・会いたい人に会いに行かなかったこと
・人を許さなかったこと
・人に感謝の言葉を伝えておかなかったこと
など、いろいろ紹介されていました。

しかし、やはり「本当にやりたいことをやらなかったこと」は最も多い後悔ではないでしょうか?

英語でも「Bucket list」などと言われよく知られていますが、作ったことがある人は少ないのではないでしょうか?

私はここを読んで手段であるべき夢』を多く持ってしまっていたことに気が付きました。

夢を叶えるための「手段」と「目的」は別であるということに気が付きました。
つまり、「手段」はやりたいことありきのものなんですよね。

手段を夢にしてしまうと叶った時に虚無感に襲われてしまうかもしれません。

改めて自分が本当にやりたいことは何なのか考え直すきっかけになりました

死は存在しない

私がこの本で最も衝撃を受けたのは死は存在しない」という考え方です。

「いやいや存在するでしょ!」
そう思うかもしれませんが、とりあえずどういう考え方なのか聞いた上で自分がどういう考えなのかを深めてほしいです。

これは簡単に説明できることではありませんが、これを理解していただくために2つの質問に答えてほしいです。

皆さんはこれが何だと思いますか?



「石」ではないでしょうか?
では、これは?



「岩」ですよね。


では、この違いってなんでしょう?

「いきなりなんだよ」と思うかもしれませんが、もう少し聞いてください。

実はこの2つは同じものですよね。
川上から流れる内に「岩」から「石」、そして「砂」へと削られていく。

先程、「死は存在しない」と言いました。
これを説明するには「どこまでが自分なのか」を説明する必要があります。

しかしそこに明確な線引きはあるでしょうか?
「意識を失う前まで?」と思ったかもしれませんが事故などで意識を無くしても身体は動いている人がいます。

そこでもし奇跡的に意識を取り戻したらそれまで死んでいたという事になってしまいますよね。

どこまで自分なのか、という問いはどこまでが石でどこからが岩かわからないのに似ています。

ここで大事なのは、「土に還る」という言葉があるように自分もいつかは土になり、他のものに形を変えていくということです。


最初に「自分」になったのはいつで、最後に「自分」で無くなったのはいつなのか?
これに明確な線引きはないように感じます。

全ての生物は1番小さい単位では同じ粒子でできています。
つまるところ、植物も人間を含めた動物も違いなどはなく、形を変えて存在しているだけです。

「壮大過ぎてわかんないよ!」
「宗教っぽいよ!」と思ったかもしれません。

でも実際に複雑にしていたのは人間の方だったということに気が付きました。
本当は同じものが存在しているだけであっても、人間は「岩」、「石」など別々のものとして認識する。

だから「全体」と「自分」も別々ものとして認識して、持ってないものを手に入れようと思ってしまう
でも最初からみんな同じなのだから、本当は手に入れなきゃいけないものなんて何もない。

でも、その考え方って悲観的じゃない?
私も最初はそう思いました。

しかし、よく考えるとそうではありませんでした。
これこそ夢の手放し方の1つです。

私達は何かを求めすぎているのかもしれません。

石に例えると「この大きさ、この形でなければだめ」だと思っている。
それは岩や砂とはもちろん、他のどんな石とも違わなければならない、という発想ですよね。

これを目指すこと自体はいいのですが、その形に到達し手に入れた瞬間に特別でなくなる
そして、また次の形になろうとする。

これが続けば、一生満足しないまま死ぬことになります。
ハングリー精神とも言えるでしょうか?

夢は時に人を強くしますが、時に人を壊すこともあります。

一方で、最初から自分が持っているものに気付くことができれば、それだけで満たされることができます

これを聞いて私は儒教と道教を思い浮かべました。
儒教はさらに上へと目指していくのに対し、道教は成功にとらわれずありのままを受け入れるものです。

そして、この考え方は道教にも通ずるものがあります。
これらの考え方は相対するものだと思っていました。

しかし、この2つはどちらも欠けてはならないものではないかと思ったのです。

夢を追い続けながらも、自分が満たされていることを知る。

これは、未来を見据えながらも今に感謝するということかもしれません。

【夢をかなえるゾウ】の集大成ともなる本

いかがでしたでしょうか?

自分の人生を改めて見つめ直すとともに、まだずっと先と思っていた「死」について真剣に考えることができました

ここで紹介したことの他にも、これからの人生の「支え」となってくれるような教えがたくさん載っていたのでぜひ実際に読んでみることを強くおすすめします!

今日も読んでいただきありがとうございます!

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